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2009/11/30

ホーム最終戦勝利!

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ホーム最終戦で勝利!
本当に行きたかった~。
藤山・浅利選手、お疲れさまでした。
これで東京ガス時代・J2時代から東京にいた選手、社員選手が一人もいなくなる。
非常に寂しいが、ホーム最終戦を勝利で終えて本当に良かった。
次の最終戦、アウェイの新潟戦。
ちょうど10年前の最終戦で東京がJ1昇格を決めたが、この試合の対戦相手は新潟だった。
是非あの時のを思い出させてほしい。

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2009/11/25

名古屋でも元気にやっています

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気づけば、もう私がFC東京サポーターになって、丸10年経った。
99年10月24日の川崎戦、東京は当時J2、知っている選手が一人もいない状況で興味本位で等々力に観戦に行き、「東京」コールをするサポーターの姿に感動し、同じ東京の中の狛江出身の私も、この中に加わりたいと感じ、ホームゲームはほとんど観に行くようになり、数年後にはSOCIOになった。
翌年、当時狛江では、ほぼ99%以上の市民が、FC東京が地元のチームなんていう意識を持っていなかった。
それをなんとか覆し、FC東京を地元チームにたいという一心で、00年7月、ネットで知り合った、数少ない市内サポーターと「FC東京を応援する狛江人の会」を創設し、私がサイト担当になった。
ネット上でも「狛江はFC東京のホームタウン」とアピールしても、他の掲示板などでは「いきなりそんなこと言われてもなあ」と書かれたり、学校企画で他の掲示板で協力者を呼びかけたら「これは管理人の極めて独善的な個人的趣味に誘導するための餌にすぎない」と書かれたりしたこともあった。
しかしそれから3年、4年と経っていくうちに、市内のサポーターも増えて、市内では選手のサイン会まで行われるようになり、ついに2006年10月には市内の商店街にFC東京バナーフラッグが掲出され、今年7月までには市内7か所の商店街でバナーフラッグが掲出されるまでになり、もう「狛江はFC東京のホームタウン」と言っても、狛江市民なら、もう誰でも自然に受け入れられるようになったと思う。
これは我々以上に、FC東京フロントの方々、市内のお店の方々の協力のおかげであったが、自分達がその最初のきっかけを作ったという自負はある。
こういうFC東京がまだ狛江には根付いていない時は、「絶対に狛江をFC東京の町にしてみせる」というの自らの『意地』を持って、地元での活動やサイト運営続けていた。
それだけに、意地をかなり出しすぎたこともあって、結構たたかれたこともあった。
そして10年経った今年、これからはフラッグ掲出以外で、市内でイベントなどをやることで、もっと市内のFC東京サポーターの存在をアピールしようと考え、5月には川崎サポーターと一緒にサポーター同士の綱引き大会提案のチラシ配布も行った(ここ参照)。

そんな中、会社から名古屋へ異動の辞令が・・。
この時はかなりつらかった。
本当に「志半ば」で東京を離れることになった。

しかし最近、ふとしたきっかけで、名古屋であるイベントの主催者をすることになった。
FC東京やサッカーとは関係のない、マイケル・ジャクソンの追悼ゲリラダンスイベントの主催者である。
私も狛江人の会の飲み会でもムーンウォークを披露したことがあるので、マイケルファンというのは皆さん知っていると思いますが。
名古屋に来たばかりの私がこんな大それたことをしていいのかと感じたが、名古屋の人達は温かく受け入れてくれた。
 イベント実施の候補地への交渉・マスコミへのアプローチなどを行ったが、狛江でやってきた活動の経験が役に立ったと思う。
そしてなんといっても前述の「意地」が大きいと思う。
今回は、「絶対にマスコミを振り向かせ、取材に来たい気にさせてやる」という強い「意地」を持って、マスコミあての郵便物を用意し、送付した。
最終的にTV局2社・新聞社1社・ネット新聞社1社が本当に取材に来て、自らも名前付きでテレビにも新聞にも出てしまった・・・・。
東京の皆さんには見せられないのが残念だが、イベント自体の成功を含め、こういった点でもすごく満足感があった。
こういった「意地」を名古屋に来て、久々に思い出した。
こういった「絶対に成功させる」という「意地」、仕事にも意識すれば役立てられると感じた。
そうしなくちゃね。
東京を離れる時はつらかったが、今は名古屋の人々の温かさに感動し、とても居心地がよく、第二の故郷になった気がします。
どうもありがとうございました。
そして共に活動してきた狛江のFC東京サポーターの皆さん、最近は観戦もあまり行けなく、サイトも週一ペースの更新になりつつありますが、決して狛江のことも東京のことも忘れてはいません。
FC東京への思い、狛江への思いは今も変わりません。
名古屋からでもできることはあるし、実家は今も狛江にちゃんとあるし、気軽に帰れるしね。
とにかく、名古屋でも元気でやっているので、ご安心ください!!

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2009/11/07

「菓子杯」という呼称はスポンサーに対していかがなものか

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http://homepage2.nifty.com/komaetokyo/
の巻頭言より転載

ナビスコカップ決勝の表彰式の川崎の選手の受賞の態度が問題となり、なんと準優勝の賞金5000万円を自主返納という事態に。
今回は選手達の行った行為という点で弁解のしようがないだろう。
選手はチームの顔であり、ファンにとって憧れであり、スターでなくてはならない存在。
サポーター・ファンの不祥事ならどのチームでもいざこざはあったが、今回は選手、しかも個人ではなく出場した選手の多くがメダルをはずしたりという行為を行った。
スターがこういった行動を取ったらファン、特に子供達の夢を壊すことになる。
川崎は私にとっては、ちょうど10年前、私がFC東京を応援するきっかけになったチーム(ここ参照)で、川崎サポーターと合同で綱引き大会をやったり、イベント提案のチラシを配布したこともあっただけに、東京の次に思い入れの強いチーム。
だからこそ今回は残念で仕方がなかった。
私個人としては、賞金自主返納よりも来年の出場辞退か、今回出場した選手全員1試合以上出場停止の方がいいかとも思ったが、スポンサーであるナビスコのことを考えると、自主返納もやむをえないと思った。
賞金を出しているのはナビスコなのだから、そのナビスコから賞金をもらうのに選手のあの態度は、スポンサーなら怒りを隠しきれないだろう。
今回スポンサーのあり方についても考えさせられた。
私もメーカーに勤める社員なもので。

そして、以前から思っていたことをアピール。

ナビスコカップを「菓子杯」と呼ぶのはいかがなものか?

2ちゃんねるだけでなく、他の掲示板などでもよくこの呼称を見る。
私はなんとなくいやだったので、この呼称を一度も使ったことがない。
そして今回再認識した。
スポンサーの立場も考えてくれよ。
私は化粧品会社だが、もしスポンサーになったらサポーターから「化粧品杯」などと呼ばれるのは悔しい。
やっぱり「ナビスコカップ」と呼ぶべきだと思う。
Jリーグバブルがはじけても、不景気でもナビスコはスポンサーを下りなかった。
企業名をみんながちゃんと呼ぶことで宣伝になると思う。
FC東京はナビスコでしかタイトルを取っていない。

その恩恵も受けているだけに、少なくともFC東京サポーターだけでも「菓子杯」と呼ぶのはやめよう!
と個人的には思う。

なお、今後川崎はチームを挙げてナビスコ商品を買ったり、サポーターに買うよう呼びかけるなどをするのもいいのではと思った。

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2009/11/04

WE ARE TOKYO!

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この日のために名古屋から東京に帰って来た!
石川の負傷で東京が不利と言われ、私も今だから言うと不安だった。
いざ始まってみれば2-0で危なげなく勝利!
今回の優勝は前回とは違った意味で感慨深かった。
それも、私は今は東京を離れて名古屋に住んでいる身だから。
故郷東京に帰ってきて、聖地国立競技場で故郷東京の仲間達と共に故郷の代表チームを応援し、優勝した喜び。
普段は東京を離れている身の私にとっては、スタジアムの雰囲気だけでもジーンと来た。
やっぱり自分は東京の人間なんだなとしみじみと感じた。
だから「WE ARE TOKYO」コールがすごく嬉しい。
こういうチームを地元に持つことを誇りに思う。
味スタでの優勝報告会、行きたかったけど、名古屋に帰らなければならないため断念・・・。

でも、名古屋でも今いろいろ楽しんでいる。
仕事以外の付き合いをする仲間も増えて、今はとても充実している。
私にとって、第二の故郷は、父の出身地で、私の最初の赴任先の福岡だとずっと思っていたが、今、名古屋に傾きつつある。
東京人・狛江人の心を忘れず、名古屋に馴染んで、大きな足跡を残してゆきたいと今回の優勝で改めて認識した。

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