2005/07/11

サイト開設5周年振り返り企画:「サイト開設時の思い出」 その13(最終回)

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5年間を振り返って

 サイト開設後、5周年という区切りの年を迎えました。
開設時と比べると、私自身はいろいろな意味で環境が変わりました。
開設時、私はまだ20代でしたが、いつの間にか30代に。
そして開設時と一緒に観戦や活動をする仲間も変わりました。
ホームページを通じて知り合いになった人も数え切れないくらいいます。
 活動もしばらく休止状態でしたが、5年目の今年は市内の活動を復活、最近はこの活動がとても面白く感じています。
 一方、狛江市内でのFC東京の認知度はかなり高くなりました。
スタジアムがこっちに出来たのとマクドナルドさんが応援したり、市内でのイベントにFC東京フロントの方々が積極的に参加されていることが大きな原因ですが、本当にいろんな人に感謝したいですね。
 FC東京を応援する狛江人の会は非営利団体ですが、私自身は、いわゆる「ボランティア活動」としてやっているつもりはありません。
「夢のある娯楽」のような感じですか。
お店さんにポスター配布にうかがうと、お店の方にに「大変ですね」といわれることがたまにありますが、決して大変とは感じないんですよね。
楽しいんです。
自分の故郷、狛江の多くのお店にFC東京のポスターが貼られているのを見るとうれしくてたまりません。
 FC東京を応援する狛江人の会は、仲間を増やして一緒に盛り上がろうというのが目的ではありません。
「狛江の街を青赤に染める」ということが一番の目的です。
別に観戦仲間や飲み仲間が増えなくても、狛江からスタジアムに観戦に行く人が増えて、市内にはFC東京フラッグがはためくようになればそれで十分です。
そういう意味ではいわゆる「ペーニャ」とも異なるかもしれません。
そのためにも、これから自分が出来る限りのことをやっていきたいと思います。

FC東京サポーター・狛江人のみなさん、どうも5年間ありがとうございました。
そしてこれからもよろしくお願い申し上げます。

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2005/07/08

サイト開設5周年振り返り企画:「サイト開設時の思い出」 その12

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統廃合された四小・八小の写真企画実行後
同窓会掲示板設立および写真企画の反応・狛江のあのうわさコーナー設立

 当サイトの同窓会掲示板はサイト開設から4ヵ月後の11月に設置しました。
設置の経緯としては、まず校歌集が二小の校歌が掲載されたことで見事完成したこと、そして四小・八小の写真企画を実施する予定になったことを記念してという感じです。
 ところが開設してから約2ヶ月間、管理人以外の書き込みは全くありませんでした。
まさに管理人がひとりごとを言う掲示板と化していました。
その後、1~2人くらいは書き込んでくれましたがやはり盛り上がりに欠けました。
 その状況に変化が現れたのが四小・八小の写真企画の掲載からでした。
この企画実施後、四小・八小の卒業生に呼びかけようと思い、同窓会サイトの「ゆびとま」の三中(管理人の出身校であり、四小・八小の卒業生のほとんどが中学は三中に進む)の掲示板で写真企画を掲載したことをアピールしました。
 そしてついに同窓会掲示板がブレイク!?
特に管理人の2つ上の三中卒業生の方々が多く書き込んでくださいました。
実はこの代の方は、同じく三中卒業だった私の姉と同年代だったため、私の正体も見事にばれましたね。
 同窓会掲示板は一時期三中卒業生に占拠されたような状況になりましたが、盛り上がってくれて非常にうれしかったですね。
しかもこの代の方の情報提供で、私の同期で2人も有名人になっている人がいることを初めて知りました。
品川庄司の品川君と宝塚花組の春野寿美礼さんですね。

 これを皮切りに狛江出身の有名人ネタがここで大いに盛り上がりました。
この段階で「狛江サブカルチャー」に狛江出身の有名人情報などを掲載したコーナーを新たに設けることを決意。「狛江のあのうわさ」と題して開設しました。
 現在は「狛江サブカルチャー」の目玉コーナーとも言えるくらい、情報提供の数も多いですが、このコーナーは「同窓会掲示板」発なのでした。

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2005/07/07

サイト開設5周年振り返り企画:「サイト開設時の思い出」 その11

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統廃合された四小・八小の写真企画実行まで

 学校の写真企画は、統廃合され「和泉小学校」になった四小・八小、そして「緑野小学校」になった二小・七小を現在掲載中です。
 この企画を思いついた経緯と言えば、これもまたホームページ更新作業をしている最中に「ふと思った」ことから始まっています。
ちょうど当サイト開設直後のいかだレースのアナウンスで初めて01年度に四小と八小が統合されることを知ったのですが、その段階ではホームページ上で騒いだだけで、特に写真企画については思い浮かびませんでした。

 ふと思ったことの根底には、私が狛江一小を旧校舎時代に卒業していたことがあると思います。
現在の狛江駅北口ロータリー付近を通るたびに「ここに一小があったんだな」と懐かしく思うことがしばしばありました。
さすがに6年間も在籍しただけあって、今でも校庭も校舎も隅々まで覚えているつもりです。
しかし心の中の映像であり、実際の映像はというと、卒業アルバムなどのわずかな写真でしか見ることができません。
だからこそ、「もっと写真として記録しておければ・・」と残念に思ったものです。
 それで、サイト上でこの企画を提案したところ、一部の八小の卒業生から「是非やって欲しい」という要望があり、この段階で決行を決意しました。
ただ、10月くらいの段階で宣言して、行動に移るのは、翌年まで伸ばしてしまいました。
 最初の構想では、なるべく学校の全てをホームページ上で見せることを考えました。
校舎内の全教室・校庭の隅々までをなるべく多く掲載すること。それが卒業生が一番喜ぶのではないかと考えました。
 確か01年1月くらいにやっと八小を訪問し、いろいろ説明をしました。
その日は校長先生・教頭先生ともいらっしゃらなかったので、事前に用意しておいた、こちらとしての写真掲載の説明とお願いを書いた紙を先生に渡しました。そして後日教頭先生に電話。
すると、教頭先生自身としては、児童と教職員の姿を写さないのならOKだったのですが、「学校は狛江市の施設なので、狛江市の教育委員会の○○課長に申請して欲しい」と言われました。
 そして後日狛江市教育委員会の○○課長に電話をし、八小訪問時に渡した書類と同じものをFAXで送信。
数日後、ついに条件付きで認可が下りました!
その条件は、「1.児童・教職員の姿を写さないこと。2.現在使用中の教室は、児童の作品などが掲示されたりしているので掲載しないこと3.撮影した写真は先生に見せて、OKいただいたものを掲載すること4.営利目的・政治目的に使用しないこと」などでした。

 大体の条件は常識的なものだったのですが、使用中の教室の写真を掲載できないのは想定外でした。
冷静に考えれば児童の作品が教室に掲示されているので、プライバシー問題にもひっかかるのですが。
 でも、認可が下りた時はうれしかった。
後日四小・八小と連絡を取り、卒業式直前の3月の土曜日に撮影決行。
午前中に四小、午後に八小というスケジュールでした。
 私はこの2校の卒業生ではないので、撮影の際に特に思い入れはなく、新鮮な気持ちで校内を回りました。
四小は授業中だったので、とにかく児童の姿を写さないことを心がけて撮影しました。
使用中の教室は無理でしたが空き教室は撮影しました。
 午後に八小を訪問。
八小に関しては教頭先生がこの企画に非常に共感してくださって、教頭先生本人としては、教室の写真を撮って欲しいような感じでした。放課後だったので、教室写真は実際に撮影させていただきましたが、掲載はしていません。
 そして八小といえば、卒業制作の陶板が非常に有名でした。
学校の周りに開校時から10数年くらいの卒業生全員の制作による陶板が校舎を取り巻くように飾ってありました。実は狛江市報でも、この陶板に関しては、統合時に撤去する予定で、希望する卒業生には返却するとアピールしていました。
 それもあって、私がこの陶板を撮影していいかたずねたところ、撮影をOKするどころか、「むしろ撮ってください」と言われました。
とてもうれしくて、わかる限りは全部撮影したつもりです。特に、私と同年代の八小の卒業生は、ほとんどが私の中学校時代の同期なので、知っている人の作品がたくさんあって感激し、知っている人の分は一人分写真1枚で撮影しています。
 ところが、教育委員会との約束もあり、この陶板はホームページ上には掲載していません。
是非見たいという卒業生の方がいらっしゃいましたら、メールにて連絡下さい。
 ちなみにこの撮影直前に私のデジカメが故障してしまい、ホームページ上で「貸してください」と呼びかけたところ、エネスタ祖師谷さんがデジカメを貸してくださいました。
今もとても感謝しております。

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2005/07/05

サイト開設5周年振り返り企画:「サイト開設時の思い出」 その10

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毎日更新を心がけた開設時
TOPページ写真企画の誕生に至る経緯

 何度も言うようですが、なるべく多くの人に、ホームページを日常的に頻繁に開いて欲しいという狙いが常にありました。
そのためにはコンテンツの充実化と、更新も頻繁に行わねばならないと感じ、ほぼ毎日ホームページのどこかを更新していました。
開設時は現在のような巻頭言を新たに書いたからといって更新扱いはしておらず、どこかのコーナーを本当に自分で考えて毎日更新していました。
更新ネタが尽きても、無理やりでも更新していましたね。
 現在当サイトの「目玉」的存在になっているTOPページの写真は、開設時はやっていませんでした。
その前に「合成写真」企画はやっていました。
どういう合成写真かというと、狛江駅前や商店街の写真にFC東京の街頭フラッグ(調布とかで見かけるあのフラッグです)画像をくっつけた写真です。
これに関しては当時一緒に活動していたOさんのアイデアでした。
この写真企画で狛江駅前・和泉多摩川商店街・狛江四小前商店街・猪方駒井商店街などの写真にFC東京フラッグをつけた写真をTOPページに載せました。
「いつかこうなればいいな」という願いから出た企画なわけですが、5年たった現在も実現はしていません。しかし、近い将来実現できると確信しています。
 現在も続くTOPページの「マイナースポット写真集」に関しては、ホームページ開設の約3ヵ月後、この商店街写真を撮影に市内をカメラを持って歩いている最中にふとひらめいたアイデアです。
ひらめいた瞬間は日替わり更新まで考えていませんでしたが、とりあえず市内を歩いて曲がり角を通るたびに写真撮影をしまくりました。
 そして帰宅後、初のマイナースポット写真を掲載しました。
最初の写真は狛江八小(当時)の体育館の横の道でした。
この時点ではあくまで「しばらくの間」の企画のつもりでした。
また、この時点では総合掲示板に答えを書き込んでもらうような意図はありませんでした。
マイナースポット写真集は、同じ狛江市民でしかわからないような情報を共有することと、現在狛江を離れている人たちに、今の狛江を見て欲しいという意図でした。
 この企画も、我ながら名案でしたね(笑)。
これでホームページの毎日更新が非常に楽になりました!
市内の写真なら、1日で100枚くらい平気で撮影できる。そして100枚あれば3ヶ月以上は毎日更新が可能ということに気づきました。
 そして、この企画は一定期間の予定でしたが、現在も続いており、当サイトの目玉企画といわれるまでになりました。
ただ、2年くらいたって、総合掲示板が写真の場所の答えの書き込みだらけになり、本来のホームページ開設時の狙い、つまり「FC東京と狛江との融合」ができておらず、サイトの「狛江」と「FC東京」が平行線を行くように感じるようになりましたが、しばらくは静観しました。

 2003年、マクドナルドがFC東京を応援するようになり、サイン会が開催されるなど、FC東京が狛江でも地元チームとして定着しつつあった時期、もうホームページは「FC東京というチームを知ってもらう」という開設時の一番目の狙いから次のステップに行ってもいいかなと思い、写真の答えを書き込む際に「FC東京に関して何か一言」を入れてもらうような「規制」をかけるという「荒療治」を実施しました。
 これに関しては、狛江関連のコンテンツをメインで見ていた人から他の掲示板サイトなどで猛批判を受けたことがあります。このサイトに「アンチ」ができるきっかけを自ら作ったという感じですね。
逆に私のような人間が応援しているからFC東京応援したくなくなったという意見もありました。
でも、当サイトの目的は「FC東京を地元チームとして認識してもらうこと」であり、応援してもらうことまでは求めているつもりはありません。
もちろん応援しくれるとうれしいですが。
嫌いになる以上、認識はしているということで、それもサイト開設の成果かなとは思います。
 総合掲示板に関しては、老若男女問わず、多くの狛江人のFC東京サポーター同士が「今日の試合良かったね」と語り合えるような場になるのが開設当時からの夢です。
今はその夢に近づきつつあります。

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2005/07/03

サイト開設5周年振り返り企画:「サイト開設までの思い出」 その9

会のホームページから個人ホームページに移行
新管理人ハンドルネーム「M1」の誕生


 開設後2週間ほどたち、ホームページ運営は順調に進んでいましたが、内容がかなり個性的なので、「FC東京を応援する狛江人の会」のホームページとして運営すると、会のメンバー全員(といっても当時は2人だけでしたが)がそういう個性的な考えを持っていると捉えられかねないという意見をOさんからいただき、「個人サイト」という形にした方がいいとアドバイスを受けました。

 私は少し迷いましたが、おっしゃることは確かにごもっともだと思い、個人サイトという形に切り替えることにしました。
本来、公式サイト的なものはあまり管理者の個性が出ていないものであるべきでしょう。でも、現在のサイトを、そういった没個性的なものに切り替えたとしたら、面白くもなんともなく、誰も読んでくれないことは目に見えていたので、公式サイトへの移行ではなく、個人サイトへの移行という形にしました。
 そこでまず困ったのがハンドルネームです。
当時、私は「元和泉1丁目」というハンドルネームを使っていました。
この由来は単に実家の所在地から付けたものですが、FC東京関連サイトの掲示板に書き込みをする目的で作ったハンドルネームでした。
要するに、「元和泉1丁目」というハンドルネームを見た他の狛江在住FC東京サポーターが反応してくれるのではという思いからです。
 個人サイトにする以上、タイトルにもハンドルネームが入ることになる。
以前説明したように、ホームページのターゲットとしている読者は、FC東京サポーターよりも「狛江市民」でした。だとすれば「元和泉1丁目」というハンドルネームは、狛江市民にとってはあまりに一般名詞的で、そのまま使用したら「FC東京を応援する狛江人の会メンバー元和泉1丁目のホームページ」という、会の名前に住所がついているような、なんだかわけのわからないタイトルになるので、新たにハンドルネームを作ることにしました。
それで「M1」が誕生したわけです。皆さんの想像通りだと思いますが、単に「元和泉1丁目」を略しただけです。
 しかも、最初は「エムワン」よんでいましたが、なんだか他人から「エムワンさん」と呼ばれるのが恥ずかしく思うようになって、途中で「エムいち」に変えました。こ
れに関しては、トップページで事前に「管理人は明日からハンドルネームを変更します。M1の名前でリンク掲載されていたサイト管理人のみなさんすみません!」と書いて、翌日の更新で、「なんと、管理人のハンドルネームをM1からM1に変更!」と掲載しました。
つまり半分ジョークだったわけですが、一応呼び名は変わっているもので・・・。

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サイト開設5周年振り返り企画:「サイト開設までの思い出」 その8

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ホームページ以外で、市内で行った会としての活動

 ホームページ開設後、とにかくFC東京について知らない狛江の人に見てもらうことに重点を置いていたので、「FC東京系」よりも「狛江系」の人々にアピール活動をしました。
「ご近所さんを探せ」のサイトに登録して、メールを送ってサイトを紹介することもかなり頻繁にやりましたね。
今はある程度狛江関連サイトとして定着したので、そこまではやっていませんが。

 また、私は市内在住ではなかったため、インターネット以外での市内でのFC東京アピール活動は一緒に活動していたOさんに任せっきりでした。
市内の掲示板にFC東京と会のポスターを貼ったり、お店にポスターを貼ってもらう活動を主にやってくださいました。
また、開設後間もない時期に多摩川いかだレースがあり、FC東京もフロントが協賛の上、FMCの方がレースに参加されるということで、この日に合わせて会のアピールとメンバー募集のチラシを作成し、当日レースに来た人に配布しました。その時にFC東京のフロントの方と初めて挨拶しました。
村林常務(当時)もいらっしゃっていました。
さらに後日、Oさんに狛江や喜多見駅前でチラシ配布と一部地区の家庭ポストにチラシ投函などを行いました。
 そろそろ仲間が増えることを期待しての活動でした。
当時は東京スタジアム完成前で、現在のようにFC東京が身近な存在になっていなかったこともあり、なかなか自分も加わりたいという声は出ませんでした。
しかし10月くらいからやっと「一緒に観戦してみたい」という連絡が自分の所にあり、だんだんと盛り上がってくる気配は感じました。翌年の東京スタジアムこけらおとしの段階までに、メンバーに入りたいと名乗り出た人は、10数人程度まで増えました。
会の本来の目的は、狛江をFC東京のホームタウンとして定着させることなので、現在は特にメンバーを増やすといった活動は積極的には行っていませんが。

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2005/07/01

サイト開設5周年振り返り企画:「サイト開設までの思い出」 その7

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ホームページ開設後の反応

 開設初日の2000年7月10日、掲示板(当時は総合掲示板のみ)にはOさんと他のFC東京関連サイトの掲示板で、私の開設告知の書き込みを読んでくれたサポーターの方から「開設おめでとうございます」という書き込みをしてくださいました。
FC東京フロントの方からもメールいただきました。
FC東京サポーターの間で、初めて狛江が注目を浴びた!かもしれない瞬間ですね!
 掲示板に書き込みしてくださったのはほとんどがFC東京関連の方でしたが、メールを送った小学校時代のクラスメート女性の書き込みがあり、狛江サブカルチャーの部分がとてもなつかしくて、読んでいて自分もなんとなくFC東京を応援しなくちゃと思ったといった、とてもうれしい内容のものでした。
この時点で「狛江サブカルチャー」コーナーの手ごたえを感じました。
 結局、開設初日はアクセス数合計が150突破という、非常にいいスタートになりました。
開設時に狛江タイムズさんの同窓会掲示板でも市内の学校の校歌を教えて下さいといった内容の書き込みをしましたが、それを見て早速八小卒業生の女子大生の方がメールで校歌を教えてくれて、サイトを読んで、「俺の狛江」コーナーの「私はここで生まれ育ったので、『市』というと、ものすごく狭い行政単位なんだというイメージを抱いていました」という部分が、読んでいて「そうそう」と思ってしまったと答えておりました。
この時はまさに狙いが当たったと思いましたね。そこらへんを考えて作成していたので。
そして開設3日間で300アクセス突破。立ち上がりとしては上々といったところでした。

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2005/06/30

サイト開設5周年振り返り企画:「サイト開設までの思い出」 その6

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ほとんど徹夜状態でホームページ開設!

 ホームページのコンテンツが決まり、いざパソコン上で作成作業に突入。
「ホームページビルダー」で、解説書を読みながら一気に作成しました。
2000年7月5日頃から作業に入り、7月9日の夜の段階でクライマックスに突入していました。
 私はHTMLタグの知識は皆無で、本当にホームページ初心者だったので、解説書とずっとにらめっこ状態でしたが、あの頃の自分の「熱意」は今考えてもすごかったですね。
その熱意は「自分の生まれ育った狛江の町に、地元チームのFC東京があるということを市民のみんなに伝えたい」「多くのFC東京サポーターに、狛江でもこういった活動をしていることを知ってもらいたい」ということから始まっていました。とにかく気合が入っていました。
 当時は狛江市民の99%が「FC東京って何?」という感覚だったと思うので、これをなんとか打開したいという使命感のようなものがありました。
現在のようにスタジアムが近くにできて、市民のサポーターが増えた状況ではあそこまでの熱意は生まれませんでしたね。
現在もあそこまでの熱意はないかもしれませんが、あの頃の気持ちはあらゆることで役立てていきたいですね。
 ホームページ作成にあたっては、「工事中」とか「近日掲載予定」などあってはならず、ほとんどのコンテンツを「完成状態」にしてからUPしないと読者の方に気に入ってもらえないと考えていたので、とにかく最初の構想した段階のコンテンツは全て掲載するつもりで作業をしました。
 ちなみに、開設段階でのTOPページのレイアウトは基本的な部分は現在と変わりませんが、表紙の写真はまだありあませんでした。
また、コンテンツに関しては、タイトルだけで説明部分は入れていませんでした。
「お店・会社紹介コーナー」に関しては、開設当初は0店で、「募集中」といったアピールで掲載していました。「KOMAEフラッグ」の写真は開設時からずっとあります。
なお、管理人のハンドルネームはこの時点では「元和泉1丁目」でした。 
さらにこのサイトは現在のように個人サイトではなく、「FC東京を応援する狛江人の会」のサイトといった感じでした。
 結局、日付が変わっても作成作業は終わらず、サーバーにUPしたのは7月10日の午前5時くらいでした。
ホームページ、掲示板も含めて開設が済んだ段階で、一番最初に会の活動を一緒にしていたOさんに開設報告のメールを送りました。
その他狛江一小時代の同級生(前年にクラス会をやって一部のクラスメートのメールアドレスは知っていたので)、そしてFC東京関連のホームページの掲示板に開設報告の書き込み&リンク依頼をし、狛江関連サイト(「狛江タイムズ」さんや「狛江ヤドカリ」さんなど)にも開設報告&リンク依頼をして、開設後の反応を待ちました。

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2005/06/27

サイト開設5周年振り返り企画:「サイト開設までの思い出」 その5

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狛江市内の公立学校校歌集」を企画して、「情報提供」を呼びかけたところ・・・

狛江サブカルチャーに続く参加型狛江情報「狛江市内の公立学校校歌集」の掲載を考えたのは、多分サイト開設直前でした。
今もよくあることですが、何かをしていてふと思ったことをホームページの企画に入れようとするタイプなもので。
あの時もホームページ作成中にふと考えたのがきっかけだったように思います。
私は一小・三中卒業のため、この2校の校歌は当然知っているので、モデルパターンとして掲載して、他の学校の校歌に関しては「情報提供」を呼びかけようと考えました。
ホームページを読者参加型にするにはこれも我ながらいいアイデアだと思いました。
本当は著作権に触れるのですが・・・。
その読みは当たりました。
ホームページ開設翌日に早速八小卒業の大学生の女の子から校歌の情報提供をいただいたのを皮切りに、三小・六小・二中と、次々に卒業生の方が私のサイトに情報提供という形で参加してくださいました。
そして11月に二小の校歌をUPした段階で、当時の市内の公立学校校歌集のページは、卒業生の皆さんの力で、見事完成しました!
母校の思い出よ永遠に」コーナー・「同窓会掲示板」に関しては、サイト開設時はまだありませんでした。こちらの開設の経緯に関しては後日。

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2005/06/26

サイト開設5周年振り返り企画:「サイト開設までの思い出」 その4

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狛江サブカルチャー」を企画

FC東京について何も知らない狛江人が私の作成するホームページを日常的に頻繁に見てもらうようになるにはどうすればいいか。

前回書いたように「狛江情報」を掲載することを考えたわけですが、とにかく自分がFC東京について何も知らない立場だったらどういう狛江情報が面白いのかを考えました。
読んで字の通りの「狛江情報」にして、「おすすめのお店」などを掲載するのは、当時狛江在住でなかっただけに無理でした。
それに、そういうサイトなら少ないながらも他にあったし、今後誰かが作る可能性もある。しかもそういう情報だと個性的ではなくなり、盛り上げられる自信はありませんでした。
できるなら今までにない、くせのある「狛江情報」にしたいと思いました。
 その結果、狛江人、少なくとも私と同世代の狛江人なら「そうそう、自分もそう思っていたんだよ」「なつかしい」と共感できるような情報を掲載してゆこうと考えました。
それと、できるならホームページを読んでいる人も「情報提供」という形で参加できるとさらに面白いと。
 早速自分なりに、同世代の狛江人ならきっとわかる思い出の場所・思い出のお店・思い出の出来事を知っている限り列挙しました。
ふと思いついたことは仕事の合間に手帳に書いたりしましたね。市内を歩いて写真撮影をし始めたのはこのコーナーがきっかけです。
構想を練っている段階で、我ながら「面白い」「これはいける」と思いました。
狛江という小さい町だからこそ、多くの市民が共通で知っているお店・場所も多いことも幸いしました。
結局、「狛江のあのお店」「狛江のあのスポット」「狛江伝説」「狛江の年表」に分類できました。
 この「狛江情報」のタイトルは構想段階で「狛江サブカルチャー」にしようと決めていました。
サイトの自己紹介を見ていただければわかると思いますが、私はサブカルチャー系のものが大好きでした。大きな本屋さんだったらサブカルチャー系の書籍コーナーがありますが、ああいったところに置いてある本を読むのが大好きでした。

ホームページに掲載しようとしている狛江情報も、狛江という町を知る上での正統で真面目な歴史・情報ではなく、狛江に生まれ育った人の目で見た、真の意味で狛江を知ることのできる情報でしたが、これはまさに私の好きな「サブカルチャー」に通ずるものがあると考え、「狛江サブカルチャー」が一番ふさわしいと考えました。
サイト開設当初、このコーナーが最大の「自信作」でした。
きっと共感し、情報提供という形で参加してくれる人が出てくると考え、実際にそうなりました。
なお、現在同コーナーで最も盛り上がっている有名人ネタを掲載している「狛江のあのうわさ」コーナーは、開設当初はありませんでした。これがどういう経緯で開設たに至ったのかはまた後日。

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